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山東省 徐福渡来と古代日本
日時: 2010/08/24 15:04
名前: 来来中国
参照: www.lailaichina.com

山東省は和歌山県と姉妹都市関係を結んでいる。青島中国旅行社が青島で開催された国際観光展にて、和歌山県の観光PRをサポートした。

山東省と和歌山県が友好関係を結んだ大きな理由は、徐福由来です。
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青島中国旅行社が案内できる中国大陸側の伝承地

青島市膠南県礼日亭海人廟  琅邪台
青島琅邪港  出航遺跡、始皇帝接見地
山東省黄県郷城鎮東村  徐郷城故城遺跡
山東省竜口市城東郊  徐福船団出航地
山東省黄県羊嵐郷黄河営村  徐福船団出航遺跡
江蘇省連雲港市 徐福廟 
江蘇省韓楡県萩水海港出航遺跡
江蘇省韓楡県馬站郷小王坊村 徐福船団造船遺跡


興味がある方、ご連絡ください。

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「史記」秦始皇本紀(BC219年)薺の人徐市ら言う、海中に三神山あり、蓬莱、方丈、瀛洲と曰い、僊人これに居る。童男女と之を求むることを得ん。
 「史記」秦始皇本紀(BC212年)始皇・・乃ち大いに怒りて曰く・・徐市ら費すこと、巨万を以って計うるも、終に薬を得ず。
 「漢書」伍被伝(一世紀) 徐福をして海に入り、仙薬を求めしむ。多く珍宝・童男女三千人、五種・百工を薺して行かしむ。徐福は平原大沢を得、止まりて王となりて来らず。

 「呉書」孫権伝(一世紀) 秦始皇帝、方士徐福を遣わし、童男童女数千人を率いて海に入り、蓬莱神山及び仙薬をもとめしむ。亶州にとどまりて還らず。世々相承けて数万家あり。(亶州を種子島と周辺を比定する見解がある。)
 「義楚六帖」(後周) 今に至りて徐福の子孫皆「秦」氏と言う。
 昭和18年に発行された「科學ノート」(中瀬古之郎著) 方士徐福、始皇帝に奏上として、「大王が如何に廣大な土地を取るも、若し東海の畔に立って海を眺め給ふならば天地は渺茫として際涯がないのに氣がつくであらう。それと同じく、大王が若し瞑目して宇宙の過去・現在・将来を思ひ給ふならば、宇宙は實に悠久にして、人間の壽命は風前の燈、蜉蝣の生涯にも如かざるを感じ給ふであらう。如かず、空間の征服を断念し給ふて、専ら時間の征服即ち人間壽命の延長に思いを凝らされて然るべきではないか。」この様にして、童男女三千人、農工百藝の書籍技術を携えて、出発した。

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和歌山県 新宮市 徐福の墓、神倉神社

新宮市は紀伊半島南端の町、古来、漂着伝承の多い地である。漂着しては他所へ移っていく太平洋の玄関でもあった。
徐福と農業 和歌山県史蹟名所誌の秦徐福之墓の項に
「往昔秦の始皇帝の時、徐福は童男女五百人を率いて、五穀の種、耕作の農具を取揃えて日本に渡来し、熊野の浦にあがりて耕作をなし、童男童女を養育して、その子孫は熊野の各地の長となり,安穏に暮せりといい伝えられている。又、徐福が不老不死の仙薬を求めし地なりと称する蓬莱山は、ここより東方三町(三〇〇メートル)許りの所にあり、樹木繁茂し山杉椀の如く、自ら仙境の観をなす。」とある。

徐福と捕鯨 産業事蹟考には、「熊野捕鯨業は世に聞ゆる所也。相伝う斯業の振興は古書にありて、彼の徐福が当時秦の禍を避けて遠く日本に航し、紀州熊野浦に着し、初めてこの地に於て捕鯨の業を行い、是より後漸く本邦各地に伝播するに至れりと称す。」とあるが、この説果して実ならば、捕鯨業は秦代徐氏の遺法にして、我が国に於いては、 紀州熊野を以て開始とするは全くいわれなきに非ず。而してその捕鯨の歌は、
 ”大島原からよせくるつち(槌鯨)を 二十艘秦氏がさしてとる〃
とあり、本邦に於て秦姓を冒す者は、総て秦氏の末族といういい伝えあり。 然からば徐氏も秦の人なれば、この歌の中の秦氏とは或は徐氏のことと言いしものならんかとあり、挿鯨の術を以て徐福の遺法なりとなすは古さ伝鋭なり。」とある。
 近隣の捕鯨の基地として有名な太地町は、秦地とも書く。

徐福紙 養老四年(720年)に、熊野徐福伝の唐紙様の紙を献じたと記されている。 江戸時代の見聞録に「上古秦の徐福日本へ渡り来りて熊野に在住し、紙をも教え漉かせて用いたり。」とある。

紀伊続風土記 徐福の墓は、永山の東、上熊野地の申の方田中にあり。その地を楠の薮という。 旧楠数株あり。今皆枯れて朽ちたる株あり。・・豊臣家康長年間、新宮速玉大社修営の棟札に「築徐福之墓逮千古之名書如王始皇之 曽弁万世之徳」とあり、又寛文雑記に楠薮の地は徐福の廟なりと申し伝うとあり。同記に新宮の末社を書きし中に徐福祠あり、南龍公の時、碑を此の地に建てられ碑面 に秦徐福之墓という五字を刻めり。近き頃新宮城主水野忠央、碑を立てて徐福の事を書せり。

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山梨県 富士吉田市 − 富士古文書 − 徐福祠 紡織の神 リンク富士山と不老不死伝説 秦の始皇帝の家来が伝えた富士吉田織物
  富士古文書八十部は、徐福と徐福の子孫が記述したものといわれている。 富士古文書は、日本の古代史と徐福の系図や東渡後の生活についても精しく述べられているが、偽書であるとの見方が多い。以下に概要を記す。
 徐福の祖先は、五帝最初の黄帝(軒轅)より出る。黄帝の第四皇子の忠顕を徐氏の第一代とした。 その六代の萬世が夏の大兎に仕えた。(BC2224年)子孫は世々夏に仕えたが,その夏が亡んだ後、(BC  年)朝に仕えず野に降ったが、五十四代の正勝が周の武士に仕えた。(BC1123年)功があって姓を徐と賜わり、楚国の首長に補せられた。その七十二代の時、首長をやめさせられたので野に降ったが、八十一代の子路が出て孔子の門に入り学を修めた。 子路は孔門十哲に数えられている。
 その後、徐氏は儒学をもって家業とした。八十六代の范睡が秦王に仕え、応候に封ぜられた。 徐福はその一子である。」という。
 徐福は博く儒学を修め、天竺(インド)に赴さ、仏学を学ぷこと七年に及んだ。秦王政に仕えて勲功があったので、官位が昇進して頗る篭用された。 秦王政は天下を統一して、自ら始皇帝と称した。三年春,(BC244年)東の方の郡県を巡視し東海を望む。徐福上書して日く「東海に蓬莱・万丈・瀛州という三神山がある。 これは全世界の大元祖国であって、大元祖宗の子孫の神仙がいて、不老不死の良薬を持っている。 もしこれを服せは千万歳の寿命を保つことができる。これを求めんと請う。始皇帝はこれを許可した。
 徐福はさらに奏して、これを求むるには十五年〜三十年を要するが故に、それに相当する旅装がいる。 即ち、金・絹・鉄・砂金・珠玉およぴ衣食器具と男女五百人、大船八十五隻を要すると言った。始皇帝はこれを悉く許した。  かくて徐福はその準備が整うと、男女五百人とその食糧を八十五隻の船に乗せて、始皇帝三年六月二十日に出帆した。(BC244年)。
 一行は不二蓬莱山(富士山)を目標にして航行した。東に南にまた東にと船を進め、ようやく十月二十五日、木日国(紀伊)に到着した。ここで三年間滞在した。 一行は孝霊天皇七十西年九月十三日(BC217年)、再び船に分乗して待望の富士山を目標として東に進み、十有余日にして住留家の宇記島原に上陸した。 それより富士山の西をまわり、中央の高天原(旧帝都)の地に到着したのが十月五日であった。 まず阿祖山大神宮初め各七廟を拝礼し、一行は大室中室に居住した。 一行中には農夫・大工・壁塗・漁人・紙師・笠張・楽人・衣類・工女・酒製造人・塩炊・鍛冶・鋳物師・石工・諸細工夫・医師などがいて、自給自足ができたようである。さらに徐福は蚕を養わしめ、糸を作り機を御女等に織らせたという。」とある。
 時に、武内宿禰、大神宮へ奉幣にさて、徐福の来朝を聞いて大いに悦び、その門に入って教えを受け、後に一子矢代宿殊をも門人にした。矢代宿殊は秦人に学んだので姓を羽田と改めた。 徐福は武内宿禰の請をいれて、塾を開いて学を講じた。大神宮のほとんど全神官が学生になった。徐福は日本の古文史に興味を持ち、三十六神家につき、その口碑・伝言・文書などによって十二支談を作った。
 徐福は八代孝元天皇7年二月八日(BC208年)に逝去した。中室朝呂山の峰に葬轤黷ス。日本に移住して以来十年目である。
 徐福の長男の福永は、父の後を嗣いで姓を福岡と改めた。次男は姓を福島と称し、紀伊の熊野に、一族五十余人を引き連れて移住した。その子孫は社祠を建てて徐福の霊を祀ったと言う。(阿須賀神社) 徐福の第四代目の福仙は、大神宮の神官に任ぜられ、子々孫々これを継承した。三十二代福岡徐教の時、富士山の大噴火の際大宮司と共に古文書、宝物を養護して共に相模に避難したと言う。

甲斐都留 甲子神社 富士吉田市明見 未確認 徐福祠があるとの事。
甲斐都留 聖徳山福源寺 富士吉田市 鶴塚
 碑文 峽州に鶴郡あり。その地、南は富岳の麓に接す。相伝う、孝霊帝の時、秦の徐福、結伴して薬を東海の神山に求む。ここに至るにおよび、おもえらく福壌なりと。遂に留まり手去らず。 後に鶴三羽ありて居る。つねに遊びて郡中に止まる。時人以て徐福の等の化すところとなす。
 孝霊より元禄に至る凡そ二千有余年にして一鶴死す。その骨を郡の福源寺に埋めそめ鶴塚と称す。
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図は、日本の徐福遺跡がある地名です。
メンテ

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Re: 山東省 徐福渡来と古代日本 ( No.11 )
日時: 2016/11/21 10:26
名前: Keiffer  <91khtx6vl@yahoo.com>
参照: http://rurizmhln.com

That's an expert answer to an intiresteng question
メンテ

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